sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

古帛紗とは何か

いろいろな古帛紗

古帛紗(こぶくさ)とは何か。そんなことを考える機会が訪れた。久しぶりに例の「あの点前」の稽古をしたせいである。そう、古帛紗を使い帛紗として用いる唯一の点前のことだ。ピンと来た方は、私と同じ流派である程度勉強を重ねておられる方だと思う。

「あの点前」と書くのはハリーポッターのヴォルデモートのように名前を呼ぶのが憚られるためだ。別に茶道警察が怖いからではない。ただ、これからその点前を習う人に私がかつて味わった衝撃を受けるチャンスを奪いたくないという親心的な思いからの「検索除け」である。

だから、裏千家の茶道を習っておられる方で「あの点前」がなんだか見当がつかない方、古帛紗をまだ使ったことのない方、見たことのない方、偶然このページを発見されたのならここから先は読まない方がよいと思う。

前振りが長くなってしまったが、話を戻そう。

あの点前を習う前の私は、こんな風に考えていた。

「朱や紫の塩瀬の帛紗は茶入や茶杓やお盆を清めるときに使うもの、古帛紗というのは名物裂でできていて茶碗を載せたり、茶入や茶杓を載せたりするいわゆる台として使うものである」と。こういう区分が頭の中にしっかりと出来上がっていたというのに、最後にどんでん返しが待っているとは。

「ええっ!古帛紗を清めるのに使うなんて聞いてないよ」

と、みなさん一度は思われたのではないかと想像する。私もそうだった。それまで常識だと思い込んでいたことが土台から一気に崩れるとはこのことだ。

が、いったいなぜこの点前だけが古帛紗を使い帛紗に用いるのだろう。考えてみて簡単に答えの出るものではない。だから、私は出ない答えを抱えたまま長い間過ごしてきた。メモを調べてみたら、私が最初にこの点前を知ったのは今から二十年ほど前のことだったようだ。そろそろ答えが見つかっても良さそうな頃合いではある。

そんなわけで古帛紗について考えてみることにした。あれはいつ頃できたもので、なぜ作られるようになったのか。そういえばそんなことも知らない。

古帛紗とよく似た役割の「出帛紗」と呼ばれるものがある。使われる裂地(きれじ)は古帛紗と同じだが、サイズは塩瀬の帛紗と同じくらいの大きさがある。「出帛紗」の名前の通り、これは濃茶を出す際に茶碗にそえるものとして使われる。

ちなみに茶道具屋さんのWebサイトにはよく「出帛紗は表千家、古帛紗は裏千家で使われる」などと書かれているがこれは正確ではない。裏千家でも濃茶に出帛紗を添えることはあるし、表千家系の流派の中には古帛紗を使うところもあったりするから話は簡単ではない。

でも、古帛紗と出帛紗の用途はほぼ同じである。出帛紗がいわゆる塩瀬の使い帛紗とほぼ同じサイズであることから考えると、古帛紗よりも出帛紗の方が古くからあるのだろうか?だとしたら古帛紗は誰が発明したのか? 発明したといえばやはり玄々斎なのか?(わが流派では何かを新しく始めた人、というとすぐ上がるのは十一代の家元である玄々斎の名前なのだ、それ以上の意味はない)

そんなことを思いながら帛紗の歴史について何か情報がないかと調べてみると面白いことが分かった。現在の帛紗(使い帛紗)のサイズの元になっているのは、利休の妻宗恩が、夫である利休に薬包みとしてふくさ絹を縫って渡したものだというのだ。これを見た利休が「この大きいのが良い」と言って、以後帛紗が大きくなったという話が「逢源斎夏書」(江岑宗左自筆の茶書)に出てくる。

つまり、それ以前の帛紗のサイズはもっと小さかったらしい。

さらに調べてみると「松屋会記」には台子の台天目の点前で「白い帛紗を左の袂から出して盆を拭いた」という記述があるという。帛紗は八つに畳んで懐に入れるような大きなものではなく、袂に入れておいてすぐ取り出せるくらいの小さな裂地だったのだ。しかも色は白、今とは全然違う。

そして、どうやらこの古い時代の小さな帛紗のサイズが現在の古帛紗の元になっているようなのだ。古い帛紗、まさに文字の通りである。確実な出典の文献は見つけられなかったが、帛紗(出帛紗)を小さくしたものが古帛紗なのではなく、そもそも古帛紗サイズの帛紗を大きくしたのが今の帛紗や出帛紗なのだとしたら、それはそれでとても面白いことだと思う。

だとするなら、古帛紗で茶器を清める「あの点前」を作られた宗匠が「古い点前の形を復興した」と言っておられたのも納得できる。通常この言葉はあの大きな盆を使うことに対する説明とされているのだが、大きな帛紗ができるまではあの点前の所作に見られるように小さな帛紗をさらに折りたたんで使っていたのかもしれない。

(ちなみにこの点前ができたのは大正十二年(1923年)、鵬雲斎大宗匠がお生まれになったのと同じ年のことだそうだ。裏千家の点前としては新しい部類に入る。上の「古い」というのは千利休以前、室町時代を指してのことだ。)

などとツラツラ考えていたら、インターネット上に思わぬ記述を見つけてしまった。「表千家では唐物点前で帛紗の代わりに出帛紗を用いる」というのである。なぁんだ、そうだったのか。織物の帛紗が使い帛紗として用いられるという例は「あの点前」以外にもあり得る。むしろ貴重な唐物だからこそ清める帛紗にも立派な裂地を使いたいという考え方は自然に思える。武家茶道系の流派での扱いがどうなっているかは聞いてみたいところだが、「茶入や茶杓は塩瀬の帛紗で清めるもの」という方が思い込みだったのだ。

先日、裏千家のゼミナールで例のあの点前を見る機会があった。ご指導くださった先生はこの点前に使うのに適した古帛紗として「緞子がいいでしょう」と言われた。緞子といえば名物茶入の仕覆にも使われる格のある織物だ。考え方としては出帛紗で唐物茶入を清めるのと同じであろう。

周辺の事情がわかってくるとこれまで例外的、イレギュラーなものに思えていた「あの点前」も最初に感じていたほど異質なものではなく、少し身近に感じられるようになった気がするから不思議である。あの点前には「小さい帛紗で点前をしていた時代もあったのですよ」という宗匠からのメッセージが込められているのに違いない。新たに奥伝に加えるため、様々な時代の文献を読んで研究されたのだろう。

塩瀬の帛紗も、出帛紗や古帛紗のような織物の帛紗もどちらも「ふくさ」として使われてきたのだ。そういえば色紙点という点前では小さいサイズの4枚の古帛紗を用いる。そのうちの1枚、点前をするスペースに敷く古帛紗は紫色の塩瀬。塩瀬の帛紗を点前の台として下に敷くのも「あり」なのだ。考えてみれば色紙点前を考案された宗匠は、例の「あの点前」を作られた方の息子である。さては親子そろって古帛紗への「こだわり」をお持ちであったか。

そして茶碗の下に古帛紗を敷いて点前をする一回り小さな「敷古帛紗」という概念は、千歳盆の点前(これは上記の息子の宗匠の奥様が考案された)にも受け継がれていく。「盆」と「古帛紗」についての研究とこれを用いた新たな点前の考案は大正から昭和の宗匠にとって一つの大きなテーマであったのだろう。

それにしても古帛紗の古帛紗たる所以くらい、もう少し初心者のときに気づくか、あるいはどこかで話を聞いていても良さそうなものなのだけれど。単に私が鈍いだけなのだろうか。いや、答え(らしきもの)は常に求めようとする者の前にしか見えてこないものなのだ。これだからお茶は面白い。