sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

浴衣でお稽古

ミンサー織の半幅帯(浴衣用)

「浴衣でお稽古してもいいでしょうか?」

と尋ねてきたのは最近入門したばかりのAさんだった。「どうぞ」とお答えして以来、彼女は毎回誰よりも先に来て、更衣室で浴衣に着替えてはお茶の稽古に臨んでいる。浴衣が涼しげでとても素敵だと褒めると表情が緩んだ。ああ、きっとこの浴衣がお気に入りなのだな、と思う。

お茶のお稽古に来られる皆さんは大抵浴衣が好きだ。二十代だろうと、四十代だろうと、年齢はあまり関係ない。

浴衣は元々は名前の通り湯上りに着る下着に近いもので、本来茶席での着用には向いていない。実際、着てみると夏の衣料としてはかなり暑い。だが、皆様の「着てみたい」という気持ち、これはとても貴重なものだと思っている。

浴衣を着てお稽古をすれば、いずれ着物も着てみようと思ってくれるに違いない。そんな下心もあって、このところ私はお稽古に来られる方々が次々と浴衣にチャレンジする姿を楽しみに見ている。

先日の稽古では三人の方が浴衣で来てくれた。

お一人目はBさん。皆さん最初に買う浴衣は白地に花柄などの可愛らしいもの、帯も大抵作り帯(帯結びを自分でしなくて良いタイプ)を選ぶことが多い。Bさんも昨年までは確かそうした浴衣を着ていたはずだが、今年は今年はオレンジ色がかった綿麻の着物っぽい浴衣の上に、爽やかな柄の名古屋帯を締めてきた。

浴衣や着物を見慣れてくるとだんだん「よくある可愛らしい浴衣」では満足できなくなる。私の見るところ、Bさんは近頃かなり着物や浴衣にハマっている。着付けもかなり手慣れてきたし、小物の合わせ方もお洒落。良い傾向だ。

お二人目はCさん。この日初めて家から浴衣を着てきたというCさんは、白地にカラフルな花柄の浴衣に作り帯というまさに私が予想した通りの姿だった。おそらく下駄を履いてきたのだろう。裸足のまま茶室の畳の上を元気よく歩きだしたので「茶室の畳の上は裸足で歩かないでね」と慌てて注意をする。

自宅ならまだしも、他所で茶室を見学したり、茶室に入ったりする際は必ず足袋か靴下を履くというのを覚えておいてもらわないと、彼女自身があとで恥をかくことになる。小うるさいと思われてるだろうな、と感じつつも、こういう時に注意をするのが私の役目だ。

が、Cさんは私の言葉より自分の着ている浴衣の着付けが気になっているようだった。女性用の浴衣は着物と同様、身丈が着丈より長めに作られている。これは昔お引きずりといって着物を引きずって着ていた時代の名残らしいのだが、今はそれを腰のところで紐を結んで折り返し、引きずらないように丈を短くして着る。この折り返し部分を「おはしょり」と呼ぶ。

Cさんはおはしょりを指差して「ここが長過ぎるんです」と私に言った。既製品の浴衣で長さが合わないのはよくあることなので、彼女には着付けについてちょっとしたアドバイスをした。ここで浴衣が嫌いになってもらっては困る。

三人目のDさんは自宅から浴衣を持参して更衣室にこもったきりなかなか出てこなかった。着付けの途中で問題があったかと心配したが、やがて出てきた彼女は地味なグレーの地に白い大きな花柄を染め抜いた浴衣に同系色の帯を締めていた。渋いお好みだが、細身で背が高めの彼女にはなかなかよく似合っている。文庫結びもきれいに決まっている。

浴衣の着方や帯の結び方はYoutubeで学んだのだと聞いて、なるほどと思う。もしかしたら、更衣室の中でスマホと睨めっこしていたのかもしれない。時間がかかっても、周囲の人に助けを求めるのではなくYoutubeを見てなんとか自分でやろうとする。いかにも今どきの若い方らしい。

浴衣を着たCさんとDさんが並ぶと茶室は一気に華やいだ。お二人ともよほど浴衣でのお稽古が気に入ったのだろう。「九月も浴衣を着てきて良いですか?」ときかれたので「いいですよ」とお答えした。稽古の後で二人で近所の和風喫茶に寄ることにしたらしい。お二人とも浴衣を着ていることが嬉しくてたまらないという感じだ。

浴衣で稽古をしたら、次はぜひ着物で稽古を目指してほしいと心から思う。

そもそも茶道の動作は着物を着て行うことを前提にしている。襖の開け方一つとってみても、なぜ襖の引手を持ったまま扉を引かずに、一度手で襖の下の方を持ち直すようにするのか。座った姿勢から立ち上がるとき、なぜ片方の足を少し前に出すのか、茶道具を運び出すときにどうして肘を張るのか、正座をする時になぜこぶし一つ分膝の間を開けるのか、着物を着るとそれらの所作が実に合理的であることがわかる。

洋服での稽古はそうした「気づき」を得るのは難しい。できることなら稽古は毎回着物でやってほしいくらいだけれど、お茶の先生の側からそれを強要することはできない。着物を買う、帯を買う、小物や下着類を揃える、着付けを習う等々までのすべての面倒を見ることはできないし、それにはお金もかかる。どれくらい着物にお金を使えるのか、その人の懐具合まではわからない。

ただ着物も昔ほど高価なものではなくなった。世間にはあちこちのお宅の和箪笥に眠っている着物をリサイクルしていこうという機運があるし、中古の着物を扱うお店も増えている。根気よく探せば誰でも自分に似合うものを安く手に入れることができる。

もうすぐ夏が終わる。浴衣の季節も終わりだ。今年中になんとか茶会は開けるだろうか。稽古茶会でもいいから何かやりたい。そうすれば皆様に着物を着る機会を提供できるだろう。浴衣で稽古もいいけれど、着物で茶道はもっと楽しい。

できるだけ多くの方にその楽しさを味わって欲しいと私は切に願っている。