sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

お茶会の楽しみ

ソバの花(記事内容とは関係ありません)

 裏千家の青年部からお茶会のお招きを受けた。「ご招待」というハンコの押された茶券を受け取ったのは初めての経験だ。

 以前にもこのブログに書いたけれど、青年部は裏千家の若い世代の親睦組織である。私がご指導している方が三名ほど青年部に入会していて、今回の茶会のお手伝いをすることになったご縁で招待券をいただくことになったのだ。

 もっともお茶会の招待券は映画の招待券とは違って無料参加券ではない。招待券をもらった者は当日「御祝」ののし袋を持参するのが暗黙の了解である。

 長らく続くCovid-19の影響で、昨今は以前のようにお部屋にぎっしりとお客様を詰め込むようなお茶会は開かれなくなってしまった。例年なら十月、十一月にはあちらこちらで様々なお茶会が開かれて、お声の一つや二つかかるのは当たり前だったが、今はまだ声がかかる方が珍しい。どのお茶会でもお客さまの人数をコロナ前の半分、あるいはそれ以下に絞っているせいだろう。

 今回も青年部に入っているAさんから「先生まで茶券が回るかどうかわかりません。今年青年部を卒業される卒業生が九名いらっしゃって、その方たちの社中の皆さんが優先なので」と言われていた。最終的に私にも招待券が回ってくることになったのはどなたかが気を遣ってくださったのかもしれない。

 その上「同伴したい人の分は茶券を買ってください」とのことだったので、一緒に稽古をしている夫と社中のMさんを誘って三人で伺いたいと申し出たところ、青年部さんが快くOKを出してくださった。ありがたいことだ。

 今回、Mさんを含め社中の何名かに「一緒にお茶会に行きませんか」と声をかけたがほとんどの方から「都合がつかない」と断られてしまった。今お茶会に行くチャンスがあるということ、手引きしてくれる人がいるということがどれほどラッキーなことなのかは想像がつかないのだろう。立場が違えば見える景色も違う。残念だが仕方がない。

 さて、お茶会の当日。私と夫は会場の最寄駅の改札口でMさんと待ち合わせをした。以前ならこういう時は定刻の30分ほど前に会場につくように早めに待ち合わせをしたものだが、昨今は「密を避ける」ことが優先だ。逆にあまり早く着いてしまわないよう注意しなくてはならない。

 改札口に現れたMさんは爽やかなワンピース姿で「念のため白ソックスも持ってきました」と元気よく言った。「懐紙や菓子切り、扇子は持ってきた?」と尋ねると「あっ」と驚いた顔で「お茶券しか持ってきていません」という。

 うーん、何のために日頃お茶のお稽古をしているのか、と思わないでもないがそれは持ち物をきちんと伝えなかった私や夫の責任である。そんなこともあろうかと予備の懐紙、菓子切り、扇子を用意してあったので、懐紙ばさみごと彼女に渡して使ってもらうことにした。

 我ながら手回しが良過ぎることに驚くが、お茶をやっていると自然と用心深くなる。というか、失敗を事前に予測できるようになる、というべきだろうか。

 会場の周辺では着物姿の方がたに出会うことが多い。客の人数が絞られているとはいえ、この日も道すがら顔見知りの先生方やこの十年ほど顔を合わせることのなかった知人に出会った。皆さんすでにお帰りになられるところだった。

 仕事が変わったり、住む場所が変わったり、お互いに年齢を重ねて少し容貌が変わったりしていても会った瞬間に頭の中で時間が巻き戻されて「ああ、お久しぶりです。お元気でしたか」と声を掛け合う。ただそれだけのことだが、年を重ねていくにつれてその希有な出会いを大切にしたいという思いが強くなる。

 「あの人にまた会えた」それだけで嬉しいのは「もう会えなくなってしまった」人が大勢いることの裏返しでもある。お茶の世界での時の流れは緩やかだが、それでも決して後戻りすることはないのだ。私があちら側に行くにはまだ少し余裕がある、そう思いたい。

 会場に入ってみるとお茶会らしいいつもの賑やかさはなく、なんだかガランとしていた。受付では券を見せて名前を言うだけ。以前のように券をもぎったりはしない。手渡しのやり取りは極力減らそうということだろう。クロークもない。手荷物は風呂敷にまとめて、自分でテーブルの上に置いておくのだそうだ。

 案内されて薄茶席、立礼席と二つの茶席に入った。濃茶席がないのは寂しいが「回し飲み」は避けるようにとお家元から通達が出ている昨今、薄茶だけで茶会をするという判断は賢明だと思う。

 薄茶席の客は全部で十一名だった。私はこの同じ会場で何度かお茶会に参加した経験があるけれど、コロナ前は客の人数が二十名以下で済むなどということは一度たりともなかったと思う。半畳に一人ずつ座ってもまだ席が余る。ゆったりしたお席だった。

 席主として登場したのはちょうど私が青年部の部長だった頃に入会されたKさん。今でも私の青年部時代のことをよく覚えていて、毎年年賀状をくださる律儀でまじめな方だ。

 Kさんがお菓子の銘を決めるのに時間がかかったこと、床の花の中では吾木香の花が気に入っていて、その理由が昔初めて青年部の行事に参加したときの思い出につながっていることなどをお話しされているうちに御点前の方がお茶を点てはじめてしまって、正客に座った先生が「お菓子をそろそろいただかないと…」と席主を促すという珍しい事態になった。

 Kさんの思いは茶道具よりもお菓子とお花にあったのだろう。道具について聞かれるたびにちょっとため息をついてメモを見てお答えされていた。「お茶会ってこんなに大変だとは先生のお手伝いをしていた時には思いもよりませんでした」と正直におっしゃるところも良かった。

 自分で用意したのならともかく、茶道具は持ち寄り、先生がたからお借りしたものも多いのだろう。それを全部覚えることなど到底無理な相談であることくらい、客の側もよくわかっている。それでも誠実にご自身の思いを伝えようとしてくださったKさんのお人柄が、この席での何よりの御馳走だった。

 続いての立礼席にも同じ十一人の客で入った。こちらは青年部の部長のYさんが席主である。彼女の席主ぶりはなかなか手慣れていてお道具の説明なども完璧だった。この席で一番私が感動したのは、夫と私の前にお菓子を運んでくれたのが私たちの社中のAさんとBさんだったことだった。

 今回初めて青年部のお茶会の手伝いに出た二人が、夫と私にお菓子を運べるように水屋で差配してくださった方があるのだろう。彼女たちが慣れない着物を着て、立礼のお席で立派にお運びを務めている姿が見られたこと、「先生どうぞ」と言ってお菓子を出してくださったこと、それが見られただけで来た甲斐があったというものだ。

 席が終わった後、私は彼女たちを呼び止めて一緒に写真を撮った。お茶会のたびに師匠が記念写真を撮っていた理由が私にもようやくわかった気がする。たった一度、今だけしか経験できない瞬間を少しでも記録に留めたくなるその気持ちが。

 帰りの電車で夫がぽそりと言った。「もう終わってしまったなんて、信じられない」点心はお土産として持ち帰るようになっていた。点心席のないお茶会はあっという間に終わってしまう。名残惜しいけれど、こういうご時世だから以前のようにはいかない。

 それでもこのお茶会に行けて本当に良かった。形は変わっても気持ちは変わらない。