教授の許状を巡る事件

昨年「茶道教室での詐欺事件」というニュースが報じられたことをご記憶の方もいらっしゃることだろう。茶道に関わる者の一人として私も大きなショックを受けた.
報道によれば、ある茶道教室の先生がお弟子さんに「教授の許状」を家元に申請すると言ってお金を受け取り、偽物の許状を渡していたことが発覚して詐欺罪に問われたのである。
事件が明るみに出たのは、喫茶店のような場所で開かれた会合で許状を渡したことを参加者の一人が不審に思って流派の事務局に問い合わせたことがきっかけだったそうだ。
報道の内容からするとほぼ間違いなく私と同じ流派の先生だろう、私はすぐにそう思った。
当流には「教授」という許状が存在するし、その許状は本来なら京都でお家元から直接手渡しで頂くものであることを私は知っている。私自身もそうやって「教授の許状」を受け取ったからだ。
この先生は「弟子が『教授の許状』が家元から手渡しされることを知らない」と考えて詐欺に及んだのだと想像する。教授以前にいただける許状は全て取次いだ先生宛に郵送で届き、本人には先生から渡されるので、弟子の側が気付かないという可能性は高い。
もう一つの盲点は「教授の許状」の本物を見る機会がないことだろう。「茶名」くらいまでの許状なら、SNSで写真を見かけることがあるが「教授の許状」の実物の写真はインターネット上ではまず見つからない。箱に入っていることが辛うじて分かる程度だ。偽物を渡されても気づきようがない。
それにしても何故こんな詐欺事件が起こってしまったのか。私は今も「信じられない」という思いでいる。お茶の先生は皆修道者であり信頼できる方々であると思っていたが、そうではなかったのか。
これまでにも許状を巡るトラブルは耳にしたことがなかった訳ではないが、概ね「やらかした」のは弟子の側であった。
取次者である先生の名前を勝手に書いて三文判を押して許状を申請した、前に習っていた先生の下で茶名が取れなかったからと言って、今習っている先生に何の相談もせず直接事務局に談判した。取次者を飛ばして自身で申請すれば費用が節約できる、動機はそんなところだろう。
これらは100パーセント先生側にバレるし、後でキツくお叱りを受けることになる。普通の許状は本人ではなく取次者である先生に届くし「誰がどの先生と師弟関係にあるのか」という点は本部にもしっかりと把握されている。弟子は先生を欺けない。
でも、今回のように先生が悪意を持って弟子を欺いたら弟子がそれに気づくことは本当に難しい。これを弟子の側が見抜くのは普通は無理だと思う。
この事件が茶道全体のイメージダウンに繋がることも気になるが(それを恐れてか、この事件について語る茶道関係者は少ない)、それ以上に私が案じているのはこの先生に習っていたお弟子さんたちのことだ。
この先生が渡した「教授の許状」は偽物だったが、それまでに渡した許状はどこまで本物だったのだろうか。そして先生の裏切りを知った方々はこの後も茶道を続けていくことは可能なのだろうか。「誰から習ったか」という茶歴を大切にする世界で、経歴に大きな傷を負った人たちのことを思うと胸が苦しくなる。誰かがフォローやサポートを入れていれば良いのだが。
残念ながら私にできることはない。でもささやかながら詐欺事件の再発防止には貢献できるかもしれない。誰もが触れたがらない話題をわざわざ蒸し返したのはそのためだ。「教授の許状」は少し特殊な性質があることをこのブログに記しておきたいと思う。
私たちの学ぶ流派にどんな許状があって、何年くらいで取得できるのかという情報はお家元のウェブサイトでも公開されている。だが、その説明に書かれているのは「入門」から「準教授」までで、「教授」という許状についての記載はない。
実は「入門」から「準教授」までは先生を通じて申請すれば誰でも許状がもらえるのだが、教授より上の許状には審査があり、誰でももらえるというわけではない。そのため、準教授以下とは手続きの流れも大きく異なる。
主な違いは、申請料はかからない(許状をいただいた時にお金を払う)、申請してから許状が頂けるまで長い期間(昔は10年といわれたが、最近は短くなってきている)がかかる。そして前述したように許状は京都に本人が出向いてお家元から直接いただくことになっている。
ちなみに「教授の許状」には様々な品が付属する。冒頭の写真の香合はそのうちの一つになる。私の時はお菓子も沢山いただいてきた。
「どのような条件をクリアすれば教授の許状がもらえるのか」という明確な基準は明かされていないが、唯一はっきりしているのは「茶道を教えている人でないともらえない」という点にある。具体的には何名かのお弟子さんの許状を取次いでいるという実績が求められる。
お茶を習うだけで全く教えていない人に「教授の申請しましょう」と先生から声が掛かることはないと思って良い。先生によっては「申請してから実績を積めば良い」とおっしゃるケースもあるだろうが、申請書に「現在、何処どこで茶道を教えております」の一文くらいは入れておくものだと聞いている。
(なお、念のために申し添えておくと「教授の許状」は「茶道を教えている、茶道教授者になろうと思っている人」に与えられる許状ではあるのだが、この許状がないとお茶を教えることができない、という性質のものではない。)
少なくともこれらのことさえ知っていれば今回のような詐欺に引っかかる前に気づけるだろう。
別の言い方をすれば「お茶の先生を育てることができる先生」でないと、「教授の許状」を取次いだりしないものなのだ。自分の先生は「お茶を教えるだけ」なのか、それに加えて「お茶の先生を育てている」のかは、先生の周囲を少し観察すれば分かる。
私の師匠は後者だったので、社中の先輩にはお茶の先生になられた方が多かった。社中には教授の許状よりさらにもう一つ上の許状を持つ方も大勢いらしたので、私が偽物の許状をもらう心配は全くなかった。
でも、それはたまたま運が良かっただけかもしれない、と今は思う。
いずれにしても、こんな事件はもう起きてほしくないし、起きてはいけない。信頼を裏切ることは茶道人として最も許されないことだから。