sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

外国人留学生の茶道体験

 「外国人留学生に茶道体験をしていただけないでしょうか」という突然の依頼メールが届いた。差出人は私が稽古場として利用している茶室の近所にある専門学校の先生である。私たちのグループが定期的にその茶室で稽古をしていることをインターネットで検索して知ったのだという。

 ああ、この先生はお茶を習ったことがないのだろう。私が最初に感じたのはそのことだった。一度でも習っていれば誰かのツテを頼るか、あるいは地域の茶道の組織か家元の事務所に連絡を取るだろう。いきなり見知らぬお茶の先生にメールで茶道体験を頼むなんて無茶はするまい。

 そう思いつつも私はこの依頼を受ける気満々だった。願ってもないチャンスだと思ったからだ。全く茶道を知らない方々、それも外国人の方々に体験を提供する機会というのはそうそうあるものではない。

 こういう話をすると「英語が得意なんですね」という見当違いの反応がかえってくることがあるのだが、外国人というのが米国人の代名詞だった時代はとっくに終わっている。この辺りで外国人といったらアジア人やロシア人、地理的に日本に近い国の人たちが多い。今回の茶道体験を希望しているのもアジアからの留学生で、大半は中国の方であるという。

 実は私の社中にも台湾出身の方がいる。日本語はペラペラで、とても向学心のある優秀な方だ。彼女によれば中国語にも「標準中国語」というのがあって、これを使えば大陸の人、世界中の華僑の人たちとも話が通じるのだそうだ。

 もっとも私は中国語はわからないし、英語も片言だ。メールを送ってくれた先生によれば留学生の皆さんは日本語の日常会話に不自由はないそうで、「説明は日本語でOK」と言われて正直ホッとした。

 事前の打ち合わせの際に「なぜ留学生に茶道を体験してほしいと思ったのか」を先生に尋ねてみると「留学生たちは皆日本の『おもてなしが素晴らしい』と言うけれど、そのもてなしというのがどういうことなのかよくわかっていない。そこで一度茶道のもてなしを経験して欲しいと考えた」のだという。なるほど。

 そう言われた以上は精一杯のおもてなしをしないわけにはいくまい。当日のプログラムは「茶道の概要説明」「茶会体験」「質疑応答」の三本立てはどうかと提案した。先生側からは「何名かの学生にはお茶を自分で点てる体験をさせたい」というリクエストがあったのでそれも取り入れることにした。

 学生さんの人数は約二十名、私と夫のほかにお点前をする人、裏でお茶を点てたりお運びをしてくれる人も数名確保したいところだ。社中でなんとかなるか心配だったが、声を掛けてみると七名もの方が手伝いに来てくれることになった。「外国人留学生の茶道体験」が如何なるものか、社中の面々も興味津々だったようだ。

 私は当日の道具組を考え、お菓子と抹茶を選んで発注し、全体の流れと時間配分を考慮してシナリオを作ることにした。茶席は一回だけだが普段のお茶会とは別のところに時間をかけて準備をした。一番悩んだのは「茶道とは何か」をどう説明するか。これを平易な言葉で短い時間の間に伝えるにはどうしたら良いのだろう。

 茶道の稽古中に先生が「茶道とはいったい何なのか」を語ることはまずない。先生が伝えるのは点前であり、教わる側は点前稽古を通じて茶道の本質に近づいていく。少なくとも私はそう考えている。茶道とは何かを言葉で伝えるなんて可能だろうか?

 私も茶道教授者の端くれとして茶道の歴史的な発展の経緯など一通りのことは勉強した。茶道の説明で必ず登場する「侘び」や「寂び」という概念もある程度は理解しているつもりだ。が、留学生の皆さんに伝えるべきことは歴史や概念なのか?いや、違うだろう。

 悩みに悩んで、あげくはChatGPTに相談してみたりもした。

 結局、私は軌道を修正して「茶道とは何か」という問いを「茶会とは何か」に変えることにた。茶会の約束事を通じて、茶道のもてなしがどんな価値を大切にしているかを伝えるのだ。亭主と客一同による一座建立、そして利休七則にも「刻限は早めに」「相客に心せよ」という言葉があるではないか。その説明の後に茶会体験に移る。床の間の軸は「一期一会」。これでなんとかシナリオが作れそうだ。

 そうこうするうちに体験当日がやってきた。外国人とはいえ若い方々にお会いするのはワクワクする。時間は瞬く間に過ぎてあっという間に茶道体験は終わった。茶道のことなんて興味がなければ日本人だって何も知らない。それなのに、彼ら彼女らの眼差しからは日本文化への興味や憧れ、熱意が溢れているのを見て私は驚いた、そしてとても嬉しかった。

 もう一つ気がついたことがあった。

 この日私が「茶会とは何か」という話を留学生の方々にしていた時、水屋にいた社中の面々もまた耳をそば立てて聞いているのがわかった。そうだった、私はいつだって茶道に興味をお持ちの日本人の皆さんに囲まれているではないか。

 なんとありがたいことか。この方たちと一緒にこれからも色々な経験を重ねていくことが私にとっての茶の道であるとあらためて思い至ったのだった。