sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

悩ましき茶筅荘

薄茶茶筅


 私の習う茶道の流儀には茶筅荘(ちゃせんかざり)という点前がある。茶筅荘は「かざりもの」と呼ばれる四種類の点前(茶入荘、茶碗荘、茶杓荘、茶筅荘)の一つだ。

 これらの点前は「目上の方から茶道具をいただいた」場合、これを当日の客にお披露目する目的で行われる。茶入荘なら「茶入」、茶碗荘なら「茶碗」、茶杓荘なら「茶杓」。では茶筅荘は茶筅をお披露目する点前なのかというとそうではない。茶入、茶碗、茶杓以外の茶道具(代表的なのは水指)をお披露目する場合の点前とされている。

 そもそも「茶道具をお披露目する」とはいったいどういうことなのか。

 その昔、織田信長は茶会を許可制にしていたという。戦で手柄を立てた家臣に「お前は茶会を開いてもよい」と許可を与え、茶道具を下賜した。家臣は殿様からもらった茶道具をお披露目する茶会を開いて同僚を招き、茶道具をお披露目した。

 元々武士への褒章は「領地を与える」のが一般的だったのだが土地には限りがある。代わりに茶道具を与えて家臣に茶会をやらせるというのは一種の「発想の転換」であり、これを思いついた人はなかなか頭がキレる。

 千利休が信長に進言してそうなった、という説があるそうだ。利休様をはじめ堺の商人たちは信長が家来に与える茶道具の目利きをしたという。どの茶道具が立派なもの、価値のあるものかを知らなければこのシステムは成り立たない。茶道具に詳しい商人たちを信長や秀吉が召抱えて重用したのはそれなりに理由のあることだった。

 ちょっと話がそれてしまったが、要するに昔の茶人には「目上の人(殿様)からもらった茶道具をお披露目する機会」が割と頻繁にあった。それがこの「かざりもの」の点前という形で今日まで伝承されているのだろうと私は理解している。

 現代に茶道具をくれる殿様はいない。それでも私たちが誰か目上の人から茶道具をいただくチャンスはある。たとえば茶名をいただいたお祝いに師匠が茶道具をくださるというケース。そんな時、同じ師匠の元で学ぶ方がたをお招きして茶事を開いてかざりものの点前をする。これなら十分に可能だしあり得るシチュエーションだろう。

 このかざりものは濃茶で点前をすることになっているのだが、わが流儀では茶筅荘に限って薄茶点前で行ってもよいことになっている。そして目下、私を悩ませているのがこの「茶筅荘の薄茶」という点前である。

 茶道の稽古を始めて最初に習うのは薄茶の点前だ。運びの薄茶点前を稽古し、次に棚をつけた点前を習う。その次あたりで「貴人点の薄茶点前」と問題の「茶筅荘の薄茶点前」を習う。

 薄茶茶筅荘の点前は別に難しい点前ではないのだ。が、この点前の位置づけというか扱いというかが今ひとつ微妙なのである。

 不思議なことに、教本ではこの点前に関する説明がほとんどない。貴人点や貴人清次については、薄茶・濃茶それぞれの場合についてそれぞれ写真付きで手順が解説されているのだが、茶筅薄茶点前についてはわずか1ページほどの説明で済まされている。

 「濃茶の時と同様に水指の蓋の上に茶杓、茶巾、茶筅をかざる」「茶碗に八つ折りにした帛紗を入れ、棗をしくんで水指前にかざりつけておく」「茶筅通しの前に茶筅をおろさず、先に湯を茶碗に入れておきそこに茶筅を入れる」という濃茶点前との差異が書かれているのみだ。

 あらかじめかざっておいてから点前を始めるとなると、普通の薄茶の点前とは菓子を出すタイミングが異なるはずだし、点前の最初に茶道口で挨拶をするのは建水を運び出すときということになる。他の薄茶点前と違って濃茶に近い手順になるはずなのになぜそこに触れないのだろう?

 茶筅荘薄茶の点前が、どのような道具をお披露目するときに行われるのかというのも今ひとつ不明である。茶筅荘の定番が「水指」のお披露目であることを考えると、やはり薄茶の場合も水指ということになるのだろうか?

 それ以外にも薄茶にしか使えない茶道具はいくつかある。棗などの薄茶器、塗りの茶杓や竹以外の木材で作られた茶杓、絵付けのされた茶碗などなど。これらのお披露目を茶筅荘で行うことはできるのだろうか?

 もっと不思議なことがある。元来薄茶というのは茶事では濃茶に引き続いて行われるものだ。通常、客は濃茶と薄茶の間に席を立つことはない。薄茶の点前が茶筅荘になることを客は事前には察知できないので、ふすまが開いて「さぁこれからいよいよ薄茶の点前が始まる」と客が思っているタイミングで、無言で亭主が水指、茶碗と運び出してかざりつけをするのだろうか? 

 それはいくらなんでもあり得ない。

 インターネットで検索すると「茶筅荘の薄茶は濃茶とは別室で行う」と書いている人がいた。たしかにそれなら可能だろうが、それが「常識」であるならば、そう書かれた書物を一度くらい目にするチャンスがあっても良かろう。だが、そんな記述にお目にかかったことはない。

 「教本に詳しい手順の解説がない」という理由の一つは、もしかしたら「統一された見解が存在しない(意見が割れている)」ということなのかもしれないな、という気もする。自分が参加したゼミナールの課題に薄茶の茶筅荘があったかどうかをチェックしてみたが、茶入荘、茶碗荘、茶杓荘、濃茶の茶筅荘はあったが薄茶ではやっていなかった。

 やらないことには何か理由がある気がする。

 ただ、少なくとも二十年くらい前まではこの点前は研究会などでも行われていたと記憶している。同じ社中のKさんが薄茶茶筅荘の点前をするのを手に汗を握りながら客席から見た覚えがあるので記憶違いではないだろう。最後に青磁の水指の拝見があったのが印象に残っているから「水指をお披露目する」という設定での茶筅荘だったに違いない。

 でも、今なら思う。青磁の水指なら濃茶で使えるのに、なぜわざわざ薄茶で茶筅荘をするのか、と。(だんだん思い出してきた。当時師匠は入院されていた。研究会が終わった後でみんなで病院に見舞いにいったのではなかったか。水指を用意したのは師匠ではなく別の誰かだった可能性が高い)

 点前稽古のためとはいえ本当はどうあるべきかを知らずに点前をするというのはあまり良いことではない。そう思っていろいろと調べているうちに、流儀の公式Webサイトに次のような情報が出ていることを発見した。

 「茶碗荘は濃茶で行うものと習いましたが、薄茶でしてはいけませんか?」という質問に「荘り物はあくまで濃茶のものなので薄茶ではいたしません。但し、薄茶の茶筅荘については応用としてすることができます」とお家元がお答えになっているのだ。

 質問は茶碗荘についてではあるが「荘り物はあくまで濃茶のもの」というのが原則というのがお家元の考え方であるのは間違いない。「薄茶の茶筅荘については応用としてすることができる」とはまた何という微妙な言い回しであろうか。「普通は薄茶ではやらないものですが、それにふさわしい場合であればなさっても構いません」という意味ではないのか。

 その「ふさわしい場合」が何なのかがわからないから困っているのだ。

 茶筅荘を薄茶で行うという点前自体はさほど難しいことではないのだけれど、それを実際にお客様を招いた茶席で行うのはそれなりのはたらき、そして理由づけが必要だ。濃茶と薄茶の間をどうするか、部屋を変えるのかもしれないし、それ以外の方法でもよいのかもしれないが、いずれにしても亭主が経験を積んだ茶人でないと難しいと思う。

 だいたい薄茶で使う茶道具を茶事茶会で皆様に披露したいのなら、茶筅荘の点前をするのではなく、普通に薄茶の点前をしてお話しするという方法で構わないではないか。薄茶点前の間は亭主は自由に客と話ができるのだから。

 あえて茶筅荘をするというのはよほどのことだ。何かとてつもなく由緒のあるものをいただいたとか、誰か特別偉い人(生まれの高貴な方など)から薄茶道具を贈られたとか、当日茶席に集った客一同が「ああ、だから茶筅荘をなさったのですね」と納得できるような理由が要るに違いない。

 そして、この点前を人様にお教えするとしたら、タイミングはいつがふさわしいのだろう。いずれ習うことになる濃茶点前や他のかざりものの点前の前段階という位置づけで初心者の皆様にお教えする、というので良いのだろうか?

 初心者の方々は茶事のなんたるかもかざりものの点前の意味も十分には理解できないだろうから手順だけを黙々と学ぶことになる。せめて濃茶の茶筅荘ができるようになるまで待った方がベターなのだろうか?

 答えはまだ見つからない。