sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

その名は色紙点

色紙点用の御所籠

 色紙点という点前がある。茶箱点前の一つに数えられてはいるが、他の五種類の点前とは大きな違いがある。使うのが「茶箱」ではなく、「御所籠」と呼ばれる籠なのだ。

 御所籠には組紐帯締めを一回り太く厚くしたような、先に房のついた紐である)が左右に一本ずつついていて、蓋の上で結ぶようになっている。浦島太郎の玉手箱みたいなものをイメージしていただけると良いと思う。(ただし、中に入っているのは茶道具で、開けても煙が出てきたりはしない。)

 道具も他の茶箱点とは少し違っている。茶巾は茶巾筒ではなく茶巾箱とよばれる箱に収められていて、しかもこの箱が仕覆に入っている。薄茶器は河太郎(別の形の場合もあるが、利休型の棗ではないことが多い)。茶碗は二つで、これらを入れるのは仕覆ではなく大きな大津袋。それに古帛紗が4枚。

 ある人が「色紙点は人の点前を見るのは綺麗でいいけど、自分でやるのはちょっとね」と言っていたが、まさに私もそうだと思う。4枚の古帛紗と茶巾箱を、ちょうど色紙を散らしたように少しずつずらして並べるこの点前はとても美しい。だが、やってみるとそれなりに難しい点前であることがわかる。

 籠の組紐をほどいて結びなおしたり、小さな瓢箪で作られた菓子器を網の袋から出して、その網の袋の紐をまた別の結び方で結んで箱に戻したり、茶巾箱の蓋と身の両方を少しずつずらして並べ、そこに茶筅と茶巾をのせたりと、この点前で要求される所作は一つ一つが繊細で、私のように手先の不器用な者とっては鬼門の連続だ。

 しかも茶碗が二つに同じ柄の古帛紗が二つ。重ねた茶碗の間にある「へだて」をいつ出すのか、重なった二枚の古帛紗をいつどのタイミングで一枚ずつに分離するのか、また拝見や仕舞いつけのタイミングでいつまた重ねるのか、これもなかなかやっかいである。

 そして、これだけの繊細な所作と細かな手順を要求する点前であるにも関わらず、近頃はめったに人前では行われない。茶会ではやらない、研究会の科目にも上がらない、裏千家のゼミナールでも取り上げられたりはしないのである。先生方もこの点前を教えるのにあまり熱心でないようにすら見受けられる。

 なぜ、そうなのか。私なりに考えてみた。

 一つには茶箱点前自体が「軽い」点前だからだ。茶会などで茶箱の席を設けるのは学校茶道の生徒さんか青年部と相場は決まっている。もともと旅先などで楽しむために考案された点前だから、当然といえば当然だろう。

 もう一つの理由は「御所籠」という特殊な道具を使うことににあるのではないか。茶箱ならば一式買えば五種類の点前ができる。でも、御所籠でできるのは色紙点のみ。そして、御所籠のセットは茶箱セットよりもかなりお値段が高い。予算は茶箱の二倍から四倍は必要である。

 お茶の先生が、高価な稽古道具を使う点前だから教えるのは他の茶箱点前ができるようになってからで十分と考えたとしても無理はない。自然と教えるのは後回しになってしまう。

 それでも科目がそこにある以上、稽古をしたいと望むのが茶道を学ぶ者の性である。ましてやあれほど美しい点前なのだから、それをモノにしたいと望むのは当然のなりゆきだ。実を言うと、私はある時意を決して御所籠セットを(もちろん出物で)求めた。懐には痛いが色紙点をマスターするためには自主稽古を重ねるのが一番だ。

 初めてのマイ御所籠は以前にお家元の近くにあるや○○たの店頭で見かけた新品ほど上等な道具ではない。籠自体が少し小さめで中は窮屈だし、底面が傾いているので振り出しが立たないし、茶巾箱は木製だし、茶杓も竹である。が、それでも道具さえ一式そろっていれば点前稽古はできる。

 茶巾箱は師匠のところで稽古したときに使ったものよりかなり大きい。茶巾をどう畳んで収めるのが良いのか悩み、ふと教本のページをめくってみたところ(茶箱の点前は伝物ではないので手順はすべて公開されている)そこには次のように書かれていた。

 茶巾は八つ折りにして茶巾箱に入れ、………

 うっそー!と私は叫んだ。普通八つ折りとは半分の半分の半分のことだ。帛紗を八つ折りにして懐中することは可能だが、茶巾を八つ折りにしても絶対に茶巾箱には入らない。だいたい八つ折りと言われてもどう畳んで良いのか困る。

 おそらくこれは誤植、というより説明不足だろう。常の通り三つに畳んだあとに八つ折りにする、と言いたかったのではなかろうか。でも、点前の準備に関わる重要ポイントでの説明不足があっさりと見逃されてしまっていること自体、色紙点という点前があまり行われていないことの現れかもしれない。

(昔、出版社に勤めていたことがあるので、どんな出版物でも完璧に校正するのは難しいことは知っている。が、この誤りを見逃したのはミスとしてはかなり大きいと思う。)

 色紙点、それは西洋の物語に登場する美しい継子のようなものかもしれない。他の姉妹たちよりも美しく上品、憧れの存在とみなされてはいるけれど、実際にお呼ばれがかかるのは質実剛健な他の五人の姉妹の方で彼女はいつもお留守番ばかり。最近はその名前を聞くことすらめったにない。

 美しき継子、色紙点が表舞台に立つ日は来るのか、私はその行く末を固唾を飲んで見守っている。

色紙点の道具を広げたところ