sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

終戦記念日の和敬点

2022年8月15日の日の出

8月15日の前後には自宅で和敬点の稽古ををすることにしている。

和敬点の和敬は「和敬静寂」から取られたことは容易に想像がつく。どれほど由緒のある点前なのかと思いきや、作られたのは昭和の時代だ。わが流派の点前としてはかなり新しい部類に属する。

和敬点は茶箱点前の一種なのだが元は「陣中点前」という名であったらしい。太平洋戦争の最中に書かれたある少女の日記に「今日は陣中点前のお稽古をしました」と書かれている写真を以前どこかで見たことがあるから、実際そう呼ばれていたのだろう。

考案されたのは先先代のお家元、つまり当代のお家元のお祖父様にあたる方だ。長男が海軍所属の軍人であった縁から昭和十八年(1943年)に五十個あまりの茶箱セット(陣中茶箱)を薬師寺の橋本凝胤管主と図って寄贈した時に、これを用いた点前として「卯の花点」を元に作られたものだと伝わっている。

海軍軍人であった長男は特攻隊に配属され、これから出撃する同僚のためにこの茶箱を使って茶を点てられたのだそうだ。この陣中点前に戦後さらに工夫を加えたものが現在の和敬点である。

茶箱という気軽な点前に和敬点という重い名前を付けられたことから考えても、この点前にはお家元親子の平和への祈り、戦争で亡くなられた多くの方々への鎮魂の思いが込められているのではないかと想像する。

戦争中にもかかわらずお茶の稽古をする少女がいたり、家元の後継者が軍人になったり、そんな時代をリアルに思い浮かべることはなかなか難しいけれど、他人様にお茶を教える立場になった以上はこの和敬点という点前を通して歴史を伝えていくことに意味がある、私はそんな風に考えている。

でも、8月に自宅でこの点前を稽古する理由はそれだけではない。

実をいうと私は師匠から直接この点前を教わっていないのだ! 自分が習っていない点前はそう簡単にお教えできるわけがない。その思いが私を稽古に向かわせる。

師匠は私に直接この点前を指導はしてくれなかったが、稽古の様子は何度か見せていただいたことがある。私よりもずっと若い方々がとある茶会でこの点前を披露することになったためだ。「私はまだこの点前を習っていないのですが」と師匠に申し出て指導を仰ごうとしたところ「あなたたち(上級者)なら見ればできるわよ」と言われてそれっきりになってしまったという記憶がある。

和敬点は卯の花点と同様仕覆を使わない点前だし道具の拝見もしない。手順は雪点前の拝見なしのパターンとよく似ている。

茶箱の点前の手順に大きく関わるポイントは点前中に茶箱を開けたままにするか、閉めておくかという点にあるのだが、卯の花点、雪点前、和敬点はいずれも「蓋を開けたまま」で点前をする系統に属する。

これらの茶箱点前はすべて、茶筅と茶巾を茶箱に残したままで棗と茶杓を清め、茶筅通しをするときに初めて茶筅・茶巾を箱から出すという共通の手順になる。違いは茶碗を置いて茶を点てるワークスペースをどこに取るかという点で、卯の花は箱の蓋の上、雪は掛合の上、和敬点では和敬板と呼ばれる薄板の上がワークスペースになる。

和敬点で目新しいのは茶碗を二つ使って二服を点てるという点だが、それはさほど難しいことではない。師匠が「わざわざ教えるまでもない」と判断したのもわかる。しかもこの点前には手順を解説したオフィシャルな教本も存在する。

が、実際にやってみると一つ大きな落とし穴があることがわかる。

教本では二碗目の茶を点てて出した後に主茶碗が亭主の元に戻り、ここに湯を入れて捨てたところで正客から「おしまいください」の声がかかるという体で解説されている。主茶碗でしまいつけをしてから仮置きし、次茶碗は湯を入れて捨てるだけ、次茶碗は茶巾で清めることなくその上に主茶碗を重ねる。

だが、薄茶は「客が所望する限り何服でも点てる」のが原則なので必ずしも教本通りの手順になるとは限らない。ここが問題だ。

正客が二服目を所望し次客が一服で良いという場合は、亭主が次茶碗で湯を捨てたときに「おしまいください」の声がかかる。この場合はどうすればよいのだろう。教本にはこの点について何も書かれていない。

が、こうした疑問は心のノートに書き留めておくといずれ答えが見つかる。

次茶碗で「おしまい」の声がかかった時は、湯を捨てた後茶巾で清めてから茶碗を古帛紗に仮置きし、茶巾は元の場所に戻しておく。主茶碗が返ってきたら常の通りに茶筅通しをしてしまいつければ良いのだ。主茶碗と次茶碗の位置関係が左右逆になるけれど、次茶碗の上に主茶碗を重ねてから和敬板の上にもどせばそこから先の手順は変わらない。

二つのパターンの相違点は「戻ってきた次茶碗を茶巾で清めるか、清めないか」にある。なぜ、そのような違いが発生するのか。今年の終戦記念日に行った和敬点の稽古ではこの差異について夫と二人で考えてみた。

主茶碗で「おしまい」の声がかかった時はそこでしまいつけをするので次茶碗がもどってきた時には茶巾は茶巾筒の中。この状態では絶対に茶巾で清めることはできない。だが、次茶碗で「おしまい」の声がかかった時は、茶巾はまだ外に出ているのだから清めることができる。茶箱点前における「茶碗をしまう前に茶巾で清める」という原則に基けば、ここで清めておくのは当然だし、自然だということになる。

なるほどそういうことか。

これまで、和敬点で次茶碗をしまう際に茶巾で清めないことには少し違和感があった。が、原理原則に照らしわせ、一度頭の中で整理しなおしてみると、必ずしも「清めない」わけではなく「清める場合もある」ことになる。

最初に点前を覚えるとき、私たちは「なぜその手順なのか」までいちいち考えることはしないが、ある程度点前を稽古したら、それまで封印していた「なぜ」を取り出して検討してみることが必要だ。そうすることで初めてその点前の手順や構造が理解できる。

とくに茶箱を使った点前は「なぜその手順になっているのか」にいちいち理由があって、それを一つずつ突き詰めて考えることによって、点前を考案したお家元の思考をなぞっているかのような面白さがある。和敬点は使う道具はシンプルでありながら、よく考え抜かれた点前なのだ。

今年の稽古では黒い京唐津の半筒茶碗と安南写の茶碗の二碗を重ね、棗は根来塗りの中棗を使ってみた。カラフルな京焼の茶碗や艶やかな蒔絵のある棗はこの点前には似合わない。茶箱というのは本来箱の中に贅をつくした道具を入れるものだそうだが、和敬点に限っていえば、いかにもあるものを使いましたという取り合わせの方がしっくりくると思う。

そういえば、和敬点は茶箱点前の中で唯一古帛紗を敷かずに茶碗を出す。陣中ではそれが自然だったということだろうか。

今年も和敬点の稽古をしてよかった。そろそろ社中の皆様にこの点前をお伝えしてもよい頃合いかもしれない。