sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

茶会記とフイルム

部屋の整理をしていたら古い会記が出て来た。十五年ほど前に師匠が亭主になって催された茶会のもの。私は小躍りして喜んだ。なんというお宝だろう!私は舐めるように会記を読んだ。

会記が宝ものだと気づいたのは最近のことである。定期的に稽古をやるようになり、たまには茶会の真似事ようなこともするような身になってみると「道具の取り合わせ」に悩むことが増えた。この水指はどんなときに使うのが良いのか。この棚はこの季節に使ってもよいのだろうか。これとこれを取り合わせてもちぐはぐにはならないだろうか。

そんな時大きなヒントになるのが、茶会の記録である会記だ。中でも自分も参加していた師匠の茶会の記録は何よりも参考になる。私の師匠は裏千家一筋の方で「裏千家の茶席らしさ」を何よりも大切にされる方だった。若い頃の私には師匠がどういう基準で道具を選び、取り合わせていたのか全く理解できなかったのだが、最近少しずつそこに託されたであろう「想い」を読み取りたいという欲もでてきた。

私は道具を覚えてるのが長年苦手だった。そもそも茶道具にはほとんど興味もなかった。何しろお茶を初めて十年めくらいまでは床に軸と花があることくらいは気付いていたけれど、一度として真剣に見たことはなかった。点前道具もそう。師匠がお茶会で立派なお道具を使わせてくださったハズなのだが、どんな道具だったのかまったく思い出せない。そのくせあの時は更好棚を使ったとか、この時は油滴を使ったとかそういうことだけは覚えている。要するに点前のことで頭がいっぱいだったのだ。

それが嘘のように、今では茶事茶会の道具が覚えられる。茶入や棗、茶碗、茶杓といった道具だけでなく軸、花入、香合から釜、風炉、炉縁、風炉先、待合の掛物に至るまで幅広く目が届くようになり、どんな道具が出ていたのか、家に帰ったあともありありと思い浮かべられるようになったのは自分でも不思議なくらいだ。稽古のたびに軸や花、その日の道具の準備と取り合わせに頭を悩ませているのがこんなところで役に立っているのかもしれない。

この季節でこういう趣向だから、ああこんな軸を掛けるのか。この花入にこんなお花を入れているのか。客の前に出す茶碗はこういうものを使うのか。それぞれの道具に亭主の思いを感じられるのは楽しい。そして由来のあるもの、変わった素材のもの、見立ての道具など亭主の工夫したところやそれにまつわるお話を聞くのもまた面白い。

そうはいっても、やっぱり人間だから時間が経てば忘れてしまう。それをもう一度目の前に蘇らせてくれるのが会記なのである。

実は今回会記と一緒に、あるものが出てきた。写真のネガフィルムだ。着物姿の私自身を写したプリントも数枚一緒に入っていた。見つけた会記よりさらに古い。二十年近く前、初めて道場の茶会でお運びをしたときものものであることはすぐに分かった。

六月だったので「単衣の色無地に絽綴れの帯」と先生に言われた通り呪文のように唱えながら友人たちと呉服屋に行って着物を作ったのだ。その着物を着た私が写っている。友人のYちゃんは若い頃から美人だったなぁなどとつい見入ってしまう。

他には何が写ってるのだろうと、ネガフィルムを透かしてみて私は驚愕した。そこには「写っているはずのないもの」があった。茶会の床と点前座である。

たとえ師匠の持ち物であれ、茶会の道具の写真は撮らないのがマナーである。マナーというより「茶人の掟」と言っても良いくらいなのだが、二十年前の私はまだそんなことも知らないピヨピヨした生徒に過ぎなかったので、何気無くカメラを向けてしまったのだと思う。無知だったとはいえ、畏れ多いことをしてしまったものだ。

でも待てよ。今このフィルムが私の前にあるということは「これを見て勉強しなさい」と師匠が天国から私に命じているのではないのか。夫に聞いてみると「今ならまだフィルムをデジタル化するサービスがやっているんじゃないか。でも、そろそろそんなサービスも終わるんじゃないかな。やっておくなら今だよ」と言う。もしも、あの日師匠が使った道具を見ることができるのなら、ぜひとも見ておきたい。

幸い富士フィルムネットプリントサービスというのがフィルムの内容をDVDに書き込むサービスをしているのを見つけたので、早速申し込んだ。

一週間ほどでDVDが送られてきた。

二十年という月日は化学処理されたフィルムを変質させるには十分だったらしく、「これ以上の色補正は無理です」と書かれた紙が付いていた。2-3千円の程度の金額では色の補正までは望めないだろう。ともあれ、PCにDVDドライブをつないで読み込んでみる。

黄色く変色してはいたが、亡き師匠のお元気だった頃の姿が写っている。一緒に写っている友人たちも皆若い。床にの軸の文字もはっきりと読めた。ああこの軸だったのか。この文字の並びは別の会記で見たことがある。よほどお気に入りの軸だったのだろう。点前座には堂々とした風炉と水指が置かれていた。

「あなたにだけこっそり見せてあげる」というお声が聞こえてくるような気がした。

私は天に向かって「ありがとうございます」と手を合わせた。が、師匠と同じ茶を目指すのは私には難しいと思う。私には師匠ほど立派な道具を揃える財力はない。でも、師匠と同じ茶の心を目指すことなら、もしかしたらできるかもしれないと思う。そう信じて少しずつ歩んでいく以外に道はないのだけれど。