sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

二年半ぶりのお茶会

新緑の茶室


五月のとある日曜日の午後、私はお茶会に出かけた。

「お茶会」ってなんだか懐かしい響きだ。調べてみたら私が最後にお茶会に参加したのは2019年の12月に都内のお寺で開かれた茶筅供養茶会だった。約二年半の間お茶会というものから遠ざかっていたのだ。Covid-19が茶道の世界に及ぼした影響は本当に大きかったのだな、と今更ながらのように思う。

お正月にお家元が規模を大幅に縮小してではあるものの初釜式を再開されたのをきっかけに少しずつお茶会を開く方々が出てきてはいるようだが、大きな広間で一度に何十人もお客様が入る以前のような形式の大寄せ茶会はまだ開かれていない。

そんな状況にもかかわらず私が出席を決めたのは、A先生がお家元から名誉師範を授与されたお祝いの茶会だったからだ。案内状には「お友達とお誘い合わせの上で」と書かれていたが、誰も誘わずに一人で行くことにした。

心のうちではもう一人の私が「まだ早いんじゃない?」と囁いている。私は答える。「A先生ももうお若くはない。次にいつお会いできるかはわからないのだから行くしかないでしょ」と。

私がA先生と知り合ったのはかれこれ20年以上も前のことになる。

私がまだ青年部(流派の五十歳以下の茶人で構成される文化団体)に所属していた頃に友人たちが師事していた先生、それがA先生だった。先生ご自身も青年部の大先輩であり、私たちがお茶会を開いた時などは後輩たちをテキパキとご指導くださった。

A先生はきっぷの良い姉御肌で面倒みの良い方だった。その後私が青年部で部長を任されたときにもずいぶんと助けていただいた。自分の弟子ならいざ知らず、他人の弟子(私のことだ)のことまで気にかけてくださるお茶の先生は決して多くはない。

どういうわけか私とA先生とはウマがあって、そのうち先生が社中の皆さんと開くお茶会のご案内などもいただくようになったのだった。

そんなA先生がこの春名誉師範になられた。

私たちの流派では名誉師範というのはお茶の先生として最高の栄誉だ。「教授」とか「準教授」というのは自身の師匠を通じて申請すれば名乗れるようになるのだが、名誉師範だけはお家元からのご指名がなければ名乗れない。すごいことだ。これは何としても直接お目にかかってお祝いを申し上げなくては。

さて、お茶会の当日、私は明るい色の着物を着て華やかなよそ行きの帯を締めた。そう言えば、この着物もこの帯も二年間一度も出番がなかったな、などと思う。支度をしているうちになんとなく心が浮き立ってくるのがわかった。

新緑に彩られた茶室に到着して身支度を済ませ、受付をするとほぼ待つことなく茶席に入ることができた。開始時間の指定があり、茶席も定員があらかじめ決められていたので当然と言えば当然なのだけれど「待たずに入れるお茶会」というのはどこか新鮮だ。

最初に入った薄茶の立礼席では、なんとお招きくださったA先生ご本人が最初から立礼棚の前に座っておられた。

「もう足が悪くて歩けないから最初からここで失礼しますよ」

どうやらご自身でお茶を点てるおつもりらしい。予想外の展開だ。A先生には何十人もお弟子さんがいらっしゃるはずだから、今回も社中の皆様がお点前をされるに違いないと思っていたのに。

が、滑らかな手つきでお点前をしながらA先生が語ったところによれば、病気でしばらく入院されていてようやく退院したばかりのところで名誉師範をいただけることになったので、急遽お祝いのお茶会をすることを決めたのだそうだ。今はお茶会をする人がほとんどいないので、貸し茶席もガラガラだったから急であったにも関わらずすぐに会場が決まったともおっしゃっていた。

数々のお道具に囲まれて席主のお人柄に触れ、お話しを伺いながら美味しいお菓子とA先生自ら点ててくださったお茶をいただく。なんとありがたいことだろう。お茶会って、お茶席ってこんなに楽しいものだったんだ。

「お茶会ってどうやってやるんだっけ?と思い出しながら準備したんですよ」

とおっしゃるA先生は、そろそろご自身で今後も茶会が開けるかどうかを危ぶんでいらっしゃるようだった。「この次」があるのかないのか、それは誰にもわからない。茶人が引き際を決断するのはとても難しいことだから。

私は亡くなった自分の師匠のことを思った。師匠は「次で最後のお茶会にしますから」とおっしゃっては茶会を開いていたのだった。そして、本当に「今度こそ最後」と思われた茶会が間近に迫ったある日、私たちは師匠が茶会のことをすっかり忘れているのに気づいた。悲しいことだがそういう日はいずれ誰にでもやってくる。

内心のしんみりした思いを払拭すべく、考え抜いてきたネタをA先生に一言だけぶつけてみることにした。

「亡くなった師匠のSは『若い頃のA先生はそれはそれは可愛い子だったのよ』とよく話してくれました」と。

思ったほどA先生にはウケなかったけれど、同席したお客様たちが皆さん笑ってくださったので、茶席を盛り上げる一助にはなったことだろう。そして、このネタを意外な方が拾ってくださった。同席していた一人のご婦人がこうおっしゃったのだ。

「あら、あなたはS先生のお弟子さんだったんですね。私たち夫婦はS先生とは家が近いのでよく車でお送りしたりしてたんですよ」

亡き師匠と私、A先生、そしてこのお茶会で初めて出会ったご夫婦が細いけれどたしかな茶縁で結ばれているのが見えた瞬間だった。

A先生への感謝の思いに導かれて今日ここに来た、その選択は間違いではなかった。先生をお祝いするだけでなく、亡き師匠の思い出を語りあうことができたのだから。

この日のことを私は決して忘れない。