sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

ドクダミとにおいの記憶

今年は春先から外出が難しい自粛の日々が続いたので、私もインスタグラムでお茶人さんを何人もフォローした。感染症予防のためには三密回避だというので茶会が開けない、それどころか茶室に集まって稽古もできない状況なので、せめて他人様の写真でも眺めていようというわけだ。

茶花も数多く見たが、その中で気になったのは花入にドクダミを入れて茶花にしている方を何人も見かけたことだった。

ドクダミは初夏になると四枚の花弁のある白い花を咲かせる。葉はハート形(というより茎があるからスペードの形と言った方がわかりやすいかもしれない。背丈は高くないが、日陰に群生していることが多い。一番最近ご近所で見かけたのは、住宅街の塀の影に咲いていたものだ。一般的な認知は「雑草」だと思う。

ただ、茶花にするには欠点がある。独特のにおいがあるのだ。

茶花に香りの強い花は好まれない。毒のある花、トゲのある花も同様だ。ドクダミはその名に反して毒はないようだが名前が悪い。南方録に出てくる「花入に入れざる花は沈丁花深山しきみに鶏頭の花、女郎花 ざくろ(柘榴) こうほね(河骨) 金銭花(金盞花) せんれい花をも嫌うなりけり」にあるように女郎花、河骨など字面がよくないだけて嫌われる花もあるほどだ。

たしかに花だけを見れば清々しくも見えるけれど、あの匂いを思いだすとそれだけで私はご遠慮申し上げたいと思う。それが普通の感覚だと思っていた。

ところがある日、私はインスタグラムを開いて一枚の写真に釘付けにされた。一輪のドクダミが経筒の花入にさりげなく入っている。でも、それはさりげないように見えるけれど選び抜かれた姿の良いドクダミであることは間違いなかった。

実に美しい。しかも清楚で品がある。

写真を投稿したのはさる茶道の家元の後嗣のお茶人だった。経筒に見えた花入は実はブリキの筒でありそれに合わせて身近な野の花を入れたというメッセージが添えられていた。

花巧者というか、手練というべきか、技があるとたとえドクダミであっても素晴らしい茶花になり得るという姿をこれだけはっきりと見せられて私は言葉がなかった。ドクダミは立派に茶花になり得る。この写真は間違いなくその証拠だ。

おそらく私以外の人にはドクダミのにおいはあまり気にならないものなのだろう。

校舎の裏やお墓の隅、トイレの汲み取り口のそばなど日のまったく当たらないような場所に繁茂して、どこか不吉な感じを漂わせていたドクダミという花、青臭い独特の臭気とその名前に禍々しいもの、恐れを感じていた。子供は皆「毒のある草」としてこれを避けた。そんな記憶を持たない人にとっては、ドクダミも美しい野の花の一つなのだろう。

もちろん、今ではこの花に毒がないこと。ポピュラーな漢方薬として葉を煎じたものが飲まれているという知識はあるが、この花を見るたびに強烈なにおいの記憶が蘇ってくるのはどうしようもない。薄暗い場所の湿った空気と幼い頃に恐れた得体の知れない恐ろしさとともに。

私がドクダミを茶花にすることはこれからもないと思う。