sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

茶道を始める理由

その道に入らんと思う心こそ我が身ながらの師匠なりけれ(利休百首より)

このところ私と夫が教えている茶道教室への入会者が増えている。

ひょっとして世の中茶道がブームなのだろうか?昭和のはじめ頃にはそんなブームがあったそうだが、令和の世ではあまり耳にしたことがない。

人はなぜお茶の稽古をしてみたいと思うのだろう。

自分のことを振り返ってみると、一つには「着物が着たかったから」だった。私の若い頃はまだ親が嫁入り道具に着物を用意してくれるという習慣が残っていたので、二十代の頃には祖母が見立ててくれた着物をすでに何枚か持っていた。「このままでは宝の持ち腐れ。何か着物を着られるような稽古ごとをしよう」と思ったのだった。

日本舞踊や謡ではなくお茶を選んだのは、当時私が憧れていた男性に茶道の嗜みがあったからというなんとも打算的な理由からだ。結局その恋は実らずに終わったが、茶道の方は現在まで続けているのだから人生というのはわからない。

今一緒にお稽古をしている夫は私と結婚してからお茶を習い始めた人だ。「妻がお茶をやっていた」ことが茶道を始めるきっかけだったわけだが、決定打となったのは師匠のひとことだった。

「来週からあなたもお稽古に来なさい」

夫はたまたま私を迎えに来て師匠に挨拶をしただけだったのでその場で断ることもできたはずだが彼はその言葉に「乗った」のだった。

夫に限らず「お茶の先生と何らかの縁ができた」ので稽古を始めたという人の話は時々聞く。ある茶友は「先生と呉服屋さんで知り合った」と言っていた。その方の場合は元々興味は持っていたそうだが、先生との偶然の出会いがそれを後押しする形になった。

では、自ら求めて茶道教室にやってくる方々の場合はどうだろう。

最近お稽古を始められた皆さん(全員女性)に「どうして茶道をやってみようと思ったのですか?」と尋ねてみると「子供に日本的なことを少しでも伝えられるようになりたいので、まず自分が身につけようと思った」と教えてくれた方があった。

昔ある詩人の妻が「東京には空がない」と言ったそうだが、今「東京には和室がない」。お稽古に来られる皆さんは畳に座る生活をしていない。茶道教室というのは襖や障子の扱い、畳の上での振る舞い方など、昔ながらの日本家屋での生活習慣を学べる数少ない場所であることは確かだ。

意外だったのは「抹茶が飲みたいのでお茶の点て方を知りたかった」という方がいらっしゃったことだ。最近はYoutubeという便利なものがあって概略を知りたいだけの人はそれで済ませることが多いと思うのだが、彼女は「人から教わる」ことを選んだわけだ。

こうして見ると、何となく以前から日本的な文化、あるいは抹茶そのものに心惹かれていたという方々が茶道教室の門を叩く、ということになるのだろうか。

これが海外にお住まいの方だとまた少し様子が違ってくる。

新型コロナウィルスによるパンデミック以降、茶道の世界にもzoomやskypeなどのツールが普及して、私も海外在住で茶道をなさっている方々何名かとお話をする機会があった。

アメリカ、カナダ、オーストラリアなどお住まいの国は様々だが、茶道具も抹茶も手に入りづらいであろうに皆さん非常にお稽古熱心であり、茶道だけでなく日本文化を学ぶこと全般に対して貪欲である。彼女たちにとって茶道とは「日本人としてのアイデンティティ確立に寄与してくれるもの」なのではないか、私はそんな風に感じた。

先日、お茶の先生を探しているという海外在住の日本人の方から突然メールが届いた。パンデミックのせいでお仕事(旅行業)がすっかりダメになってしまって茶道を現地の方に教えているという。その生徒さんたちから「習うからには資格が欲しい」という要望が出てきたので、相談にのってくれないかというのだ。

話を聞いてみるとお住まいの地域(日本全国くらいの広さがあるらしい)には茶道経験のある日本人がご自身以外誰もいない。そんな場所でも「日本の茶道を習いたい」という現地の方がたがいらっしゃるのは驚きだが、彼らから見ると茶道は「日本の伝統的なマナーを学べるもの」なのだそうだ。

その国では歴史的な経緯もあって「伝統的なマナー」に相当するものが失われている。古くから伝わる日本の作法に憧れがありそれが茶道人気につながっているようだ、とこの方は分析していた。

なるほど、そういうことだったか。

人が茶道の稽古を始めるのは、自分の持っていない「何か」が茶道の中にあると思っているからだ。それは着物や浴衣を着る機会であったり、和室での立ち居振る舞いであったり、抹茶をおいしく点てられる技術であったり、日本人としてのアイデンティティや伝統的な作法であったりする。

この道に入ろうとする人は誰もが「自分のなりたい姿」を心に思い描いている。私はそのことを忘れず心に留めておこうと思う。