sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

宗名って何ですか?

朝からいきなりLINEが来た。「先生、青年部のKさんから『今度の行事で先生のお名前を紹介するので宗名の読み方を教えてください』とメールが来たのですが、私の知識不足で宗名が何のことかわかりません。教えてください」というBさんからの連絡だった。

Bさんは3年ほど前から私の教える茶道教室に来ている方だ。私が彼女のLINEを見て最初に思ったのは「そうか、こう言うことも教えなくちゃいけないんだ」ということだった。

宗名というのは茶名のことだ。茶道を習っているといずれ家元から「お名前」をいただくという機会がやってくる。この茶道での名前を「茶名」と呼ぶのだが、わが流派の茶名は必ず「宗◯」なので、私たちは常日頃から「あの方の宗名なんだっけ?」というように、茶名と言わず宗名という言い方をすることがある。私自身が通っていた稽古場では茶名をお持ちの方が多かったので、私自身は宗名というのが「お茶の世界での名前」だということはごくごく自然に会話の中から覚えたのだった。

が、現在私が教えている方の中にはまだ茶名を取られている方は一人もいないので、Bさんがそのような会話を聞く機会はない。知らないのは当然だ。でもはっきり「知らないので教えてください」と言ってくれて良かった。私は早速Bさんに「宗名とは茶名のこと、茶名はお家元から宗の字を一時いただくので、宗名という言い方もします。私の茶名の読みは『そうじゅん』です」と返事をした。

教えるのはまだここまでで十分のはずだ。

実は茶人の名前にはやたら「宗」の字がつく人が多い。千利休だって秀吉が禁中に献茶をする時より前は千宗易と呼ばれていたし、同時代の茶人である今井宗久、津田宗及、それから上田宗箇に十四屋宗伍、金森宗和などなど。幕末の大老井伊直弼も茶の世界では井伊宗観と呼ばれている。

もちろん、現在も三千家の家元は千宗左千宗室千宗守で全員宗の字がついた名前を代々受け継いでいる。茶人と「宗」の字には何か関係があるのだろう、と思わないでいられるのが不思議なくらいなのだ。

誰だって一度くらいは考えるだろう。なぜ「宗」なのか、と。

千宗易今井宗久、津田宗及は三人とも堺の商人で、南宗寺というお寺で禅の修行をしたと伝えられている。南宗寺は1557年に三好長慶が父親の菩提を弔うために大林宗套を迎えて開山したお寺だ。南宗寺に大林宗套、どちらも「宗」の字がついている。

大林宗套は元々京都の天竜寺で修行した僧侶だが、後に大徳寺に移った。堺の南宗寺は臨済宗大徳寺派の寺院である。そして大徳寺といえばあのとんちの一休さんこと一休宗純応仁の乱で荒れ果てていたのを復興したといわれるお寺だ。

というより、千利休の等身大の木造が山門の二階に安置されたために「儂に利休の股の下をくぐれというのか」と豊臣秀吉が怒って利休切腹の原因となった、といわれる有名な山門のあるお寺、といった方が一般には通りがいいかもしれない。

大徳寺の禅僧は千家の歴史に何人も名前が残っている。古渓宗陳は利休の参禅の師として知られている。表千家の茶室不審庵の扁額の文字はこの人が書いたものだ。春屋宗園は宗旦の師として知られている。清巌宗渭は裏千家の茶室今日庵の名前の元になった「懈怠比丘不期明日」(けたいのびくみょうにちをきせず)の言葉を書き残した人だ。

大徳寺の禅僧が宗◯を名乗るのは、おそらく大徳寺の開山が宗峰妙超禅師という名前だからじゃないかと思う。茶人が宗◯なのは多分、大徳寺ないし大徳寺派の寺院に参禅するからだ。そして禅僧から宗◯という名前を授かる。

私たちが宗名(茶名)をお家元からいただくとき、それは知らず知らずのうちに大徳寺とのご縁を得ているということではないのかな、という風に私は理解している。だからこその茶禅一味であり、私たちは茶道の稽古を通じて仏道の修行をしているということにもなる。

が、私がそこまでBさんにお話する必要はないだろう。こういうことは自分の頭で考えて答えを探す方がずっと面白いし、茶道を続ける楽しみの一つはこの長い間考え続けて自分なりの答えを見つけ出すことにあるのだから。