sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

茶道のお礼状

お茶の稽古に行くと抹茶の点て方やいただき方を教えてくれる、というのが一般的な認識だと思うのだが、私にとっては日本の伝統的なマナー、交際における気遣いというのがどういうものかを知ることができた、というのが大変有り難かった。

たとえば、師匠が新年会(私の社中では初釜ではなく新年会が恒例行事だった)を開くとき、何か個人的な事情で出席できない(したくない)時も、顔ではにっこり笑って「出席」の欄にマルをつけて会費も払っておく。前日か当日になって「急に都合が悪くなった」と言って断わるのが良い、と教わった。

「喜んで出席します」と言えば招く側には喜んでもらえる。急な欠席でも会費が払い込み済みなら金銭的な迷惑はかけないというのである。例外は「喪中」の場合のみ。おめでたい席への出席はご遠慮するものであるから断っても良い、といったことはお茶の稽古を通じて学んだ。

他にも月謝などを師匠にお支払いする際には必ず新券を用意するとか、茶会などでお祝いを包む時は他人と連名にはしないとか、お包みや頂き物には必ずお返しをする(もらいっぱなしはダメ)とか、お返しにふさわしい品とはどんなものかなどなど些細だが知らないと困ることを直接、あるいは間接的に師匠が教えてくださった。

ただ、師匠が教えてくれなかったこともある。それは「お礼状の書き方」だった。

私が初めて「お礼状」というものを書いたのは、裏千家の青年部の行事で「宗家研修」に参加した時だった。宗家研修とは文字通り京都にある宗家に伺って講義を聞いたり、茶室を拝観したりすることなのだが、事前の説明会で青年部の先輩から「研修終了後にはお家元様宛てで全員お礼状を書いてください」と言い渡されたのだった。

お礼状?

当時の私は何のことだろうと思ったのだが、どうやらお茶の世界ではお呼ばれした時やお世話になった時には手紙でお礼の言葉を伝えることになっているらしいとわかった。幸せなことに、その頃私はまだ「正式なお礼状」のフォーマットを知らずにいたので、便箋にボールペン書きでお礼の文章を書いて投函した(今思うと恥ずかしい)。

次に「お礼状」を書くことになったのは、私の所属している支部が地区の大会の担当になったときだった。

青年部の役員だった私たちのところには大会終了後に「お礼状を書くべき人一覧」が届いた。筆頭はもちろんお家元である、となれば当然毛筆だ。

この頃までには私も「正式なお礼状というのは筆で巻紙に書くもの」ということは知っていた。が、知っていただけで書いたことはない。困り果てて茶友のWさんに相談すると、「まずはこれを読んで」と「茶の湯の手紙文例集」「続・茶の湯の手紙文例集」(淡交社)という本を紹介された。

こんなことでもなければ巻紙に毛筆で手紙を書くことなどあるまい。皆さんはご存知だろうか。巻紙に筆文字で書くときの常識その一が「句読点を打たない」ことだなんて! 

巻紙毛筆のルールにいちいち驚きつつ、文例集を睨みながら下書きを作り、次に巻紙用の下敷きを作った。筆記具は筆ペン(いきなり毛筆は絶対無理だと思った)を使うことにした。友人が銀座にある鳩居堂で買ってきてくれた巻紙を使って下手くそな字で書いた。投函したお礼状が届いたのか、お家元がそれをお読みになったのか、私には知るすべはない。

が、それでも私は理解した。お茶の世界では「お礼状」が必要欠くべからざるものだと皆に認識されていることを。お茶を続けている以上ここから逃れる術はないのだと。

その後、お礼状を書く機会は次々と訪れた。茶事に招かれたとき、お茶会に水屋見舞いをいただいたとき、許状をいただいた時、茶券を取り次いでもらったとき、この世界は何かといえばお礼状なのだ。正直言うと今でも筆と巻紙は苦手で、ボールペンと葉書、ボールペンと便箋、筆ペンと便箋の組み合わせで書くことの方が圧倒的に多いのではあるけれど。

私自身がお礼状をもらう機会も出てきた。青年部のお茶会に招かれたときに、ちょっとしたお菓子などを水屋見舞いとして差し入れするとお礼状が届く。それを書くのに彼ら彼女らがどれほど苦労したかは、経験者である私にもよくわかる。

「差し入れをいただいたのに礼状一つ出さないなんて失礼だと思われないかしら」という必死さが、どことなく行間から滲み出ているのを見ると、昔を思い出して涙が出る。だから、最近は水屋見舞いをする時には一言「お礼状の心配はしなくていいから。大変なのはわかっているから大丈夫よ」と声をかけることにしている。

こんな話を書いたのは新年早々「筆でお礼状を書く」という状況が突如勃発した余波である。先方の心づかいに対する感謝を綴って今後もより良いお付き合いが続くことを祈りつつ、墨を摺り、毛筆でお礼状を書き上げて先ほど投函してきたところだ。久しぶりなので辛かったが、書き終えたらほっとした。

お礼状とは何か。私にとってそれは「修行」です。