千家十職の軌跡展をみてきた
「千家十職の軌跡展」という名の展覧会を見に行った。
千家十職とは京都の三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)お出入りの茶道具職人の家のことで、代々家業として千家好みの茶道具を作り続けている人々である。
お茶を習っている方なら、お稽古の時に
客:お仕覆のお仕立ては?
亭主:友湖でございます
といった問答をしたことがあるだろう。あの時亭主が答えるのが「千家十職の名前」である。友湖とは袋師の土田友湖のことだ。もちろん稽古では本物の十職のお道具は使わない。十職の作ったお道具は大抵の場合お茶の先生にとっては「お宝」であり、我々下々の者はお茶会や茶事などの改まった席でしか見ることがない。
展示ケースの向こう側とはいえ、そんな十職のお道具がずらりと並んでいるとなれば、見にいかないわけにはいくまい。
会場は都内の某老舗デパート。東京近郊のお茶の先生たちが一斉にこの展覧会に押し寄せることを考えると、平日の昼間、特に呈茶のある時間帯は混雑するだろう。平日の夜は会社帰りに見に来る人がそこそこの数いるはずだ。
となれば、最も空いていてゆっくり見られる可能性があるのは日曜日の夕方、それも5時以降が望ましいというのが私の見立てであり、案の定この時間に出かけてみたところ、比較的ゆっくり展覧会を堪能することができた。作戦成功、この点に関しては自分を褒めたい。
展示は千利休の時代から二代少庵、三代宗旦の時代、以下歴代家元の時代に沿って道具が並んでいた。目玉はやはり楽茶碗だろうか。長次郎の楽茶碗が複数個同時に見られる機会は滅多にない。利休が手元に置いて使っていたとされる「禿」など、今後お目にかかるチャンスはないだろう。茶碗に限らず古い時代のものというのは端正でもどこかおおらかで伸びやかな印象を受ける。見ているだけで穏やかな心持ちになる。
が、茶碗や水指などの陶磁器というのはそれでも茶道具の中では最も見る機会が多いものだ。今回の十職展の見所はそれ以外の道具も数多く出展されていたことにあった。古い茶釜や土風炉、一閑張の折撓棗や茶箱、竹花入、紙釜敷なども多数展示されていた。中でも私が面白いと思ったのは、竹細工・柄杓師の黒田家に代々伝えられてきたという柄杓をずらりと並べた展示だった。それぞれの茶人の好みに合わせた柄杓の形を伝えるため「実物」を保存してきたのだろう
茶道具というのは「用途」があるからこそ面白いのだと思う。それだけに、手にとって見られないのは残念だ。この茶碗でお茶をいただいたらどんな感触なのか、純金の茶釜は果たして重いのか軽いのか、この棗の使い勝手はどうなのか。見ているとムズムズしてくるのだが、残念だけれどこれらの道具を使って見たいという望みは私のような庶民には叶わない。せめてよく見ようと思って覗き込み、展示場のガラスにゴツンと頭をぶつけるのが関の山だった。
とはいえ現代においては十職の方々も仕事を続けていくのはなかなか難しいようだ。金物師の中川浄益、指物師の駒澤利斎は現在後継がなく空席のままであるという。柄杓師の黒田正玄は十三代が引退されて、先日娘さんが十四代となったと聞いている(今回の展示物では黒田家はまだ十三代のままだった気がする。) 女性の跡取りと聞いて意外に思う方もいるかもしれないが、茶道具を制作する職人さんは男性ばかりではない。今は案外女性も多いのだ。
この日は夫も一緒だったのだが、彼も思った以上に楽しんでいたようだった。特に一閑張が気に入ったそうだ。確かに、私もこれだけの数の本物の一閑の作品を見たのは初めてだったと思い当たる。
夫「ところで一閑張の人の苗字はなんて読むの?」
私「『ひき』だよ」
確かにこれまで稽古で飛来一閑の名を言ったことは一度もなかったと思う。もしかしたら、黒田正玄、中川浄益、駒澤利斎、奥村吉兵衛も言ってなかったかもしれない。炭手前をする機会は圧倒的に少ないし、私自身が十職を覚えたのも、お茶会や淡交会の研究会などで何度も見聞きしてきたからで、稽古場で教わった訳ではなかったのかもしれない。
せめて夫や社中の若い方々が十職の名前くらい覚えられるように、また何か稽古道具を手当てしなくては。まずは折撓棗かな?