sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

名水点のキモ

名水点

名水点という点前がある。文字通り「名水」を用いて濃茶を練る点前のことである。名水を辞書で引くと「茶の湯や酒造に適した湧水や地下水のこと」といった説明があるが、茶の湯において名水とは「醒ヶ井(さめがい)」「利休井」「宇治橋三の間」など、京都周辺の名のある井戸水や川の水を指している。茶の湯の本場は京都なのだ。

ただ名水を使えば良いというものではない。水を汲むのは夜明け前から早朝に限られる。昔の人は午の刻(昼の十二時)を過ぎると井戸の水に毒気が生じ、子の刻(夜中の十二時)を過ぎるとこれが新鮮な水に変わると信じていた。つまり、早朝になれば井戸の水はすっかり入れ替わり新鮮な水が汲めるという理屈である。

現代人である我が夫は「生水を使うなんて……、水道水の方がよっぽど安全」と眉をひそめる。が、この「新鮮な水」というイメージ(もしくはファンタジー)こそが、名水点という点前を成立させていると言っても過言ではない。茶室において名水はたっぷり水で濡らしてしめ縄を張った木地釣瓶の水指に入れて飾られる。中に入った水の清らかさを示す演出が実に見事である。

点前が始まると、客は亭主に「お見受けいたしましたところ、名水をご用意いただいたようでございますが、どうぞお水を」と、水を所望する。亭主は茶入と茶杓を手入れした後、水指の蓋をおもむろに開けて柄杓で茶碗に水を汲み、客に勧める。客は順に水を味わって感想を述べ「どちらの名水でしょうか」と亭主に尋ねる。亭主はおもむろに「〇〇の水でございます」と答え、その後は普通の濃茶の点前となる。

さて、久しぶりに名水点を稽古することになった。古の茶人のように早朝に水を汲んでくることまではできないが(他人様に生水を飲ませるのは今日ではリスクが伴う)、木地釣瓶の水指に紙垂(しで)を付けたしめ縄を張って、その演出を真似ようというのである。紙垂は懐紙を使って簡単に作ることができる。これは私自身師匠から習ったことがある。が、わらで作られた細い縄はどうやったら手に入るのだろうか?師匠もそこまでは教えてくれなかった。

仕方なくGoogle先生にお願いして調べていただいたところ、わら縄というのは園芸用、例えば雪吊りなどに使われる資材であり、簡単に買えることがわかった。ただし、単位は「一巻」、短くても10mはある。水指の周囲を巡らせるにしてはあまりに長過ぎる。そこで、さらに検索を重ねた結果見つかったのが「名水点セット」なる代物だった。わら縄と紙垂6枚がセットになって1080円。世の中には便利なものがある。今回はこれを使うことにした。

さて、名水点セットにはご丁寧な説明書までついていて、わら縄の縛り方は男結びにすること、紙垂を付ける向きまできちんと書いてある。これなら私にでもできるだろう……と思ったのが甘かった。まず、わら縄が結べない。結ぼうとするとその側からぼろぼろと崩れていく。見かねた夫がバトンタッチ。わら縄を水で湿して崩れないようにした後、そっと結ぼうと試みるがなかなかうまくいかない。だいたいこの「名水点セット」の藁縄は短すぎて到底男結びになんかできないのだ。無駄になってもいいから10m買うべきだったと私は後悔した。

ようやく縄を結ぶのに成功したら、あとは紙垂を挟むだけ。でもここにも落とし穴がある。紙垂は縄を張ったままでは挟めない。無理矢理挟もうとすると、紙垂の端がぐしゃぐしゃになってしまって取り返しのつかないことになる。ではどうするのか。一度張り詰めた縄をそろそろと釣瓶水指の下の方までおろす。一度水指を持ちあげて外し、縄だけの状態にする。

そして、紙垂を挟みたい位置で藁縄をなってあるのと逆にねじる。こうすると縄の間に隙間ができるので、ここに端を斜めに折って細くした紙垂の先を挟みこむようにする。これを根気よく繰り返し、前後に2枚ずつ、左右に1枚ずつ合計6枚の紙垂を挟む。ここまで出来たら再び釣瓶水指を持ってきて、下から縄をはめ込むようにして紙垂が絡まないように注意しながらそろそろと上の方まで上げていく。定位置まで上がれば無事完成だ。

実はこれだけの準備をするのに小一時間を要した。釣瓶水指は普通の水指の倍以上水が入る。最初は水を入れたままの状態で縄をかけようとして失敗し(水が入っていると重くて扱いづらい)何度も試行錯誤したせいだ。が、おかげで私は名水点という点前の一番のキモがどこにあるのか、それを思い知った。

ペットボトル入りのミネラルウォーターというお手軽で良質な水が得られる今日では、むしろ「木地釣瓶水指にしめ縄を張ったものを用意すること」こそが、名水点という点前の難しさであると。