sgotoの日々是好日

茶道と共に歩み考える日々を綴ります

「今宵の主」という花入

花入「今宵の主」

 コロナ禍で稽古のできないお茶の先生方は今インスタグラムという写真がメインのSNSに集結している。先生方の投稿は茶室で一人稽古する写真であったり、本来ならこの春の茶会で披露されるはずだった道具の写真であったりと、なかなか勉強になる。

 この時期、お茶が満足にできないのはつらい。禍々しいニュースから逃れて、ひたすら稽古と茶花の写真を見ていると、少しは不安も紛れて心休まるというものだ。先生方も私もそれは同じである。

 そんな中でふと一枚の写真が目に留まった。

 山吹の一枝を入れた花入には「細川家所縁の花入れ、『今宵の主』(写し)」と一文が添えられていた。私はこの形をよく知っている。いつも稽古で使わせていただく茶室の備品にほぼ同じ形のものがあるのだ。投稿者にいよれば、私も毎週楽しみに見ているNHK大河ドラマ麒麟がくる」にもこの花入が登場し、帰蝶が花を入れていたそうだ(私は気づかなかった)

 さらに投稿を読んでみると「今宵の主」という名は、細川三斎の茶室でのエピソードに由来するらしい。あるとき客を迎えようとした三斎に急用ができてどうしても出かけなければならなくなったので、花入に水を入れ、その横に花を盛った花台を置いて「不本意ながら外出するのでこの花入を今宵の主と思って花を入れてください」と書き置いたというのである。

 慣れ親しんだ形の花入が実はこんな由来を持つとは知らなかった。小さめの耳が左右についた形はふんぞり返った人のようにも見えて、たしかに席主に代わって客を迎えてくれそうな存在感はある。「今宵の主」という変わった名前とささやかなエピソードを知っただけで、これまであまり好きではなかった花入(私は花止めに毎回苦労させられている)になんだか急に親しみがわいてくるから不思議なものだ。

 これには何か出典があるのだろうか。インスタグラムに出ていたのは昭和三十年代の雑誌の切り抜きを写した写真だったが、詳しいことがわからない。ぜひ知りたいと思って「今宵の主、花入」でまずはGoogle検索をかけてみた。

 そして、訳がわからなくなった。

 この形の古銅の花入が「今宵の主」と呼ばれていることは確からしいのだが、真っ先に見つかったのは 「名付けたのは秀吉である。秀吉が利休の茶室を訪れたが、利休は留守で花入に白い椿が一輪だけ入っていた。秀吉の帰った後、利休がもどってきて留守中に訪ねてきたという秀吉のことを思った。後日秀吉がこの花入を今宵の主と名付けた」という話だった。

 同じ話を書いている人が三人ほどいたのだが、その中の一人が「先生のところにあった花入の説明書にそう書いてあった」と記している。

 ある茶道具屋さんは同じ形の花入を「有楽好」として販売していた。有楽とは織田有楽斎、信長の弟であり、国宝にもなっている茶室「如庵」を作った人物だ。如庵(じょあん)は有楽斎のクリスチャンネームだったという説がある。そういえばこの花入は十字架の形にも見えるが、だからといって有楽斎が好んだという説の裏付けにはなるまいが。

 もしや、三斎に招かれた客が有楽斎だったのか?とも思ったが、それはもはや妄想の域を出ない。

 だが、検索の結果もう一つ有力な線が見つかった。この「今宵の主」という言葉は世阿弥新作能忠度(ただのり)」という演目で、平清盛の末弟であった平忠度の時世の和歌として出てくるというのだ。

行き暮れて 木の下陰を宿とせば

花や今宵の主ならまし

 「今宵の主」は「こよいのあるじ」と読むのだろう。

 細川三斎は忠度が薩摩守であったことにちなんで薩摩焼の茶入に「忠度」と銘を付けているという。この情報は遠州流のホームページに書いてあったから確かなことだろう。わずかな手がかりだがようやく「今宵の主」と細川三斎がつながった。

 三斎は忠度の和歌を意識して花ならぬ花入を「今宵の主」としたのではないか。この日招かれた客も「今宵の主」と言われてピンと来たことだろう。

 細川三斎がお気に入りの花入に留守を託したというエピソードに比べると、秀吉・利休の話はあまりにふわっとしてつかみどころがない。この変わった形の花入に「今宵の主」と命名したのはやはり細川三斎だったのではないかと私は思う。この五十年ほどの間に三斎のエピソードは忘れられ、いつのまにか秀吉と利休という茶道界のビッグネームの話にすり替わってしまったのだとしたら残念なことだ。

 今は誰がこの花入を持っているのだろう。細川家の伝来品を集めた永青文庫の収蔵品リストも調べてみたが見つからなかった。今日に伝わっていたとしてもいわゆる「個人蔵」なのだろうか。いつか本物の「今宵の主」に巡り会いたいものである。